酒とタバコをやめて、今日で180日になった。正直、まだ半年か・・・、という気持ちである。止めた日数をこうして指折り数えていること自体、まだ完全に酒とタバコの呪縛から解放されていない証拠なんだなあ・・・、と思う。

最初は、酒(禁酒)と煙草(禁煙)は、僕にとって、ほぼ同等の「重み」であった。だが日が経つにつれて、自分にとって、他人にとって、社会にとって、人間にとって、「酒こそが問題である」ということが徐々に明らかになってきた。そう、酒こそが問題なのだ。酒に比べたらタバコなどは、太陽に対する月、海に対する水たまり、象に対する蟻(あり)のようなモノである。影響力、すなわち人間に対する害毒は比較にならない。

その害毒を一言で言えば、人間が社会で生きていく上で最も重要かつ不可欠なもの、一瞬たりとも手放してはならないもの、すなわち「理性」を酒は喪失せしめるということに尽きる。

今日も一体、どれだけ沢山の「涙」が、この「酒」という「キチガイ水」を巡って流されているのか、想像も出来ない位なのである。悔恨の涙、絶望の涙、悲嘆の涙・・・・。しかも、涙を流しているのは飲酒者当人だけではない。その周囲の人々、特に家族を苦しめ、ついには崩壊させてしまうのが酒なのである。

最近では、NHKの森本健成アナウンサーが、酒に酔って帰宅途中、電車内で女性の体を触ったとして、強制わいせつ容疑で逮捕されたことが大きな話題となっている。全国ネットの番組に出る有名なアナウンサーなので、驚きや非難の声、あるいは様々な噂や憶測が巷(ちまた)やweb上を飛び交っている。僕がザッとそれらに目を通したところ、事の本質をしっかりと把捉した議論は、いつものことながら殆ど行われていない。冤罪だの冤罪でないの、紅白歌合戦はどうなるだの、枝葉末節的な噂話ばかり。マスコミ・マスメディアからしてそうなのだからあきれるよりほか無い。

この森本事件の本質は何か? 「当時のことは酒に酔っていて覚えていないが、被害者には大変申し訳ないことをしたと思う。」との同容疑者のコメントが伝えられているが、ここにこそ、問題の本質があるのである。すなわち、まぎれもない「酒害」の問題なのだ。犯行時に酒に酔って「記憶がない」ということは、「理性」を喪失していたということである。何ということだろう。これではたとえ冤罪でもそれを証明する手だてが無いし、その時何をしでかしてもおかしくない状態だったと、本人が認めているに等しいのである。同氏のように普段真面目で誠実そうな人が・・・。立派なキャリアをこれまで積み上げてきて、妻子のある人が・・・。たかが酒で・・・。実に惜しいことだ。情けないことだ。僕に言わせれば「記憶がない」と言っている時点でアウト。話にならない。

まともな大人は家から一歩外に出たら、一瞬・一秒たりとも「記憶の無い」時間、「理性を喪失した」時間、すなわち「自分の行動に責任のとれない」時間をつくってはならないはずだ。そのような人物は、周囲から見れば「危険人物」に他ならない。酒で理性や記憶の飛ぶ人は、即刻断酒すべきである。僕だったら怖くて酒などとても飲めないだろう。酒を飲んだ翌朝、犯罪の容疑者になっていたり、留置所に入っていたなんてことは、まっぴら御免だ。

だが・・・。草なぎ事件、海老蔵事件同様、今回も「酒害」については見過ごされてしまう雲行きだ。明らかに世人は「酒」を甘く見すぎている。酒に大甘(おおあま)の日本社会。例えばみのもんたは、この件につき次のようにコメントしている。

「僕も酒飲みですが『酒に酔っていた』と書かれるのは非常につらい。お酒って(本来は)そういうものじゃないんですよ!」(11月16日、TBS「みのもんたの朝ズバッ!」)

いつも思うが、この人物は、実に「分かりやすい」。無責任な放言が大半で、床屋談義の範疇を出ない。今回は何と、自分が酒を飲むから酒を擁護している(笑) 公私混同、自分の立場も問題の本質も何も見えていない。いや本当は分かっているのだろうが隠している。これほど明らかな「酒害」の問題を、あえて無視するこのような人物が、他方で政治や社会を語ること自体、間違っているし滑稽なのである。この男は昔から好きになれない。

だが、みのもんたなどはどうでも良い。問題なのは酒である。?_(・ω・`)ココ重要! 今日は、180日記念として、改めてこのことを強調しておきたい。