脇坂安元の印

【写真】脇坂安元の印

脇坂安元(わきざかやすもと・1584-1653年)の「藤亨」と彫られた印章です。周りの蔓(つる)状の模様は、藤の蔓を表しているのかもしれません。

脇坂安元は江戸時代初期の大名。伊予大洲藩(現在の伊予市周辺)第二代藩主、のち信濃飯田藩初代藩主。播磨龍野藩脇坂家二代。幼名を甚太郎、字は藤亨、八雲軒と号しました。学問に優れ和歌を能くし、和漢書籍数千巻を蔵したといいます。『下館日記』・『在昔抄』など多くの著作があり、林羅山から儒学を学び、逆に羅山には歌道を教えるという師弟関係であったようです。「関ヶ原の戦い」では最初やむなく西軍に加勢しましたが、小早川秀秋の裏切りを機に東軍に寝返り、大谷吉継隊を壊滅させ、石田三成の居城佐和山城攻めに加わるなど東軍の勝利に貢献しました。1617年伊予大洲藩5万3500石から信濃飯田藩5万5000石に加増移封されると、飯田藩で治績を挙げ、町並みや交通の整備、文化事業などを行い、飯田の町の発展に尽くしたということです。文武両道に秀でた武将だったんですね。