林羅山の印

【写真】林羅山の印

江戸時代初期の朱子学者、林羅山(はやしらざん 1583-1657)の印です。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。通称又三郎。出家した後の号、道春(どうしゅん)という名でも知られます。徳川家康のブレーン的存在で、家光の待講も務め、幕府の政策決定にも強い影響力があったといわれています。「武家諸法度」の起草したり、上野忍が丘に先聖殿(後の昌平坂学問所)を開いたりしました。

林家と言えば幕府ベッタリの御用学者というイメージが強いですが、その祖である羅山は大変英明で該博な知識の持ち主だったそうです。有名な逸話は、イエズス会修道士イルマン・ハビアンとの「天動説・地動説」論争。その対決で羅山は「地動説」を主張しハビアンを舌鋒鋭く論破しましたが、これによって後にハビアンはキリスト教を棄てたとも言われています。羅山は江戸時代初期に既に天文学的な基礎知識を持っていたのです。「それでも地球は動く」のガリレオ・ガリレイが1564年生まれ、1642年没ですから、殆ど林羅山と同世代だったことを考えると、これはスゴイことだと思いませんか?(※注)

【注】ここの箇所は私の勘違いでした。天動説を採ったのは林羅山、地動説を主張したのがハビアンであり、ハビアンが棄教したことには別の理由があるようです。誤りをご指摘下さった大平様・川瀬様に御礼申し上げますと共に、ここに訂正させて頂きます。