アップルの「iPad」が巷間言われているように、これからの読書の主流アイテムになるのかどうかについては、結局、「僕は、あなたは、iPadで本当に本を読みたいか?」という問題に帰結すると思う。僕自身に限って言えば「読みたくない」、あるいは「iPadで読む必要性、必然性を感じない」。実際手にとってみた時の率直な感想である。

今は様々にもてはやされるiPadだが、僕は断言しよう、iPadは長くは続かない。発売当初に話題となり売上好調だったのは、最近ヒットを飛ばし続けるアップルが発売したからであり、必ずしも製品の有用性や利便性を示すものではない、どんなモノか分からずに行列に並んだ人も多いのではないか。「活字を読むのに特化した薄型・小型ノートパソコン」といった趣のiPadに、僕はエポックメーカーたるべき斬新性も感じない。まあ便利で有用なのは確かかも知れないが、それはこの製品に限らず、パソコン、インターネット等でこれまでも我々が享受出来た種類のものである。もしこのような形態での読書に以前から需要が存在したならば、iPad発売以前にもノートパソコンを使って読書をする光景が電車の中などで見られたはずある。だが、そんな人はこれまであまり見たことがない。

たしかにデジタル化されたデータは利便性がある。この利点を一々数え上げるには及ぶまい。ユーザーはiPadを通して素早く簡単に、世界のあらゆる情報にアクセスする「可能性」を手に入れるわけだ。ニュース、文学、辞典、地図、画像、動画、音楽・・・。だが、それはあくまで「可能性」に過ぎない。実際には人はその中のホンの一部を手に入れるだけ、人間の情報処理能力や、情報に対する興味・関心の強さ・深さ・広さには、おのずと限界があるからだ。簡単に言ってしまえば、紙の本で勉強しなかった人間が、iPadで勉強するようになるはずがない、ということ。

我々が一生のうちで読むことの出来る本はそう多くはない。数百、あるいは数千・・・、まあその程度であろう。良書に出会ったならば、それを手に入れて、じっくり読んで、読了後も自分の本棚に入れて時々眺めていたいと思う。iPadでは、あるいはデジタルデータでは、こうした「所有欲」が少しも満足されない。2000年以上続いている紙(本)の歴史は、そう簡単に消滅しないと思うのだが・・・。

★もしよろしかったらツイッターもフォローよろしくお願いします。(必ずリフォロー致します)
http://twitter.com/stamprint