僕は、1987年以来の中日ドラゴンズファンである。この年に落合博満が、三度の三冠王のタイトルをひっさげて、ロッテから中日に移籍してきた。当時僕は名古屋の高校に通っていた。

「神主打法」と呼ばれる特異な打撃フォームで、難しいコースの球をいともたやすくヒットやホームランにする落合に、高校生の僕はあっという間に魅了された。球場で、あるいはTV、ラジオの前で、高校、大学時代を通じて、「四番サード落合」というアナウンスにどれだけ心を躍らせたことか・・・。大学時代には休みを利用して和歌山県太地町の「落合記念館」を訪問、その時たまたま、落合夫妻がいて、一緒に写真を撮ってもらったのも、良い思い出だ。

平成6年、落合が中日から長嶋巨人にFAで移籍。僕も中日ファンであると同時に落合在籍期間だけの「限定巨人ファン」になった。この平成6年は僕にとっては社会人一年目の年。巨人時代の落合はだいぶ衰えはあったが、それでも折々、最高のバッティングを披露してくれた。落合が子供の時から心底尊敬する長嶋監督、その長嶋を胴上げするという入団時の公約を二度、四番打者として見事に果たした。

1997年、その巨人から、清原に追い出されるかたちで、日ハムに移籍。当時リストラ中高年の同情をさそった。僕の巨人ファンの時期も終了。日ハムではさすがの落合も見るべき数字も残さず二年でついに現役生活にピリオドを打った。

このあたりから僕のプロ野球に対する関心も低下する、1995年以来の野茂英雄の活躍もあり、徐々に日本のプロ野球から、MLBの方に関心が移っていった。落合のいない日本のプロ野球は何か物足りなかったし、MLBは確かに新鮮だった。

しかし、引退から6年、2004年に落合が帰ってきた!「監督」として。僕は嬉しかったが、同時に複雑な気持ちだった。「落合に監督がつとまるはずがない!」と確信していたからだ。現役時代から「オレ流」を貫き、中日時代には、「プールを歩く」だけという変な独自メニューを組んで、キャンプ初日にチームと合流しなかったり、監督との確執が噂されたり、その他もろもろ単独プレーが目立ち、「協調性のない人間」「一匹オオカミ」「組織には属せない男」とのイメージが強かったからだ。

だが周知のように、その「確信」がみごとに裏切られたのは、うれしい限りだ。今年2010年までに、落合は監督である7年間にリーグ優勝3回、日本一1回(53年ぶり)を達成し、中日に「黄金時代」を到来せしめた。この間Aクラスから落ちたとことは一度もない。「一流選手」が「一流監督」であることは極めて難しいと言わるが、川上哲治、野村克也と共に、落合は紛れもなくその両方の名称を与えられるにふさわしい。

「WBCボイコットはけしからん!」「もっとマスコミの前で話すべきだ!」「ファンサービスしろ!」「信子や福嗣はなんだ!」・・・こんなことを言って落合を批判する人間も大勢いる。だが、落合は不人気で良い。落合のような人間に対しては好き嫌いがはっきり分かれるものだ。落合は誰からも好かれる長嶋さんではない。

25歳で遅咲きのデビュー、しかも入ったのはパリーグのマイナー球団ロッテ。そこから這い上がり頭角をあらわすために落合は、「数字」にこだわるしかなかった、「結果」を残し続けるしかなかった。だがそれが本来のプロというものだ。たいした成績を残せなくても有名球団出身というだけで、引退後は解説者かタレントか分からぬ風情でうまく世渡りする、こんなヤツばかりじゃないか、今のプロ野球界は。まさに落合の対極をいく連中である。しかも概してこういう連中が落合批判に回ったりする光景を何度も見てきた。正直、腹立たしい。

だが、見ている人は見ている。ガンバレ落合、あなたは、ONが去りしあとの日本プロ野球界の「ヒーロ」であり「良心」だ!