当店はハガキの印刷もやっている。多くの場合、お客さんが文案を用意してご来店下さる。転居、退職、法要、暑中見舞い、喪中はがき・・・等々。

最近特に目に付くのは、文章末尾の「ご自愛をお祈り申し上げます」という文言。これは、国語(日本語)としておかしい。「自愛」は「祈る」ものではない、「お願い」するものだ。あるいは「ご自愛下さい」でいい。「ご多幸」や「健康」は「お祈りする」で良いけれども・・・。

変な国語(日本語)といえば、コンビニなどレジでの「1000円からお預かりします」も、今では全国的にすっかり定着してしまった。バイトが変な言葉を使っても直してやれない大人が増えたのだろう。おかしな箸の持ち方をする若い人が増えたのも根は同じかもしれない。ついには若者に迎合して、(あるいは若ぶりたいのか)、「1000円から」中高年や、「10000円から」老人まで見かけるようになった、実に滑稽だ。

ついでに言えば、大手コンビニ店、大手ファーストフード店などに特に言いたいが、何故もっと早い時期に(つまりこのような言葉が蔓延する前に)、店頭におけるこの語の使用をアルバイトに、あるいは店員に禁止しなかったのか? その不明を経営者は恥じるべきだ。なぜならば店舗において「金銭」の流れを常に明確に把握し、それを正確に顧客や同僚に伝えることは極めて大事なことだからである。現在目の前で行われている商取引において、「ここにある金銭は誰の所有に帰するものなのか」、「預かった」のか「頂戴したのか」、これほど大切なことはない!のである。

例えば、私が近所のコンビニで410円のタバコを買うのに小銭が無く、1000円札を財布から出したとする。「1000円からお預かりします」と例のいまいましい台詞を言って店員がその札を手に取ってレジに収めようとする。その瞬間、泥棒が店員の手から千円札をさっと引っ掴んで逃げ去ってしまった! さあ、どうする。いったい今盗み去られた1000円札はどういうお金で、誰のものだったのだろう。「1000円からお預かりします」では全く分からないのである。1000円を預かったのか? 1000円からタバコ代の410円を預かったのか? もしそうなら残りの590円は何なのか? 被害を被ったのはコンビニか私か? 警察にはどちらが届ければいいのか?

金銭に関して、このような曖昧、というより意味不明な言葉の使用を許容もしくは黙認している店のオーナーや経営者の神経が私には全く理解できないのである。店舗を運営する資格があるのかどうかさえ疑う。私生活の言葉づかいをどうこう言っているのではない、勤務中なのだからその気があれば当然禁止くらい出来るだろう。何しろ全国一律に「サンキュー」などと横文字を使わせているチェーン店もあるくらいだから。

言葉づかいに限ったことではない。「今はそういう時代だから・・」「世の中の流れだから・・」と言って、若い人に何も言えない年長者(親・教師など)、無批判・無制限に新しいものを許容してしまう大人が増えている。確かに「変革」は多くの場合若い人から起こるのかもしれない。だが、変革には当然「良い変革」と「悪い変革」がある。悪い方に流れていきそうになった時、それを抑制するのが「大人」のつとめだと私は思うのだが。

まあ、国語の乱れなんて、ハンコ屋の私にはどうでも良いことだ(と一応ここでは言っておく)。私ひとりの力ではどうにもならない。せめてうちの店では「変な国語」は使わないように心がけたいと思う。「1000円、お預かりします」でよい。その瞬間に泥棒が盗み去ったとしても、お客さんからの「預かりもの=1000円」を盗まれたのだから、全て当店の責任。1000円はお客さんに返却して、被害届はうちから出す。分かりやすくて良い。