昨夜は誘いを受けて、そぼ降る雨の中、きたる板橋区の区議会議員選挙に出馬する候補者の「決起集会」に行ってきた。

日頃僕は「非政治的人間」を自任しているような人間で、このような集まりにでるのは生まれて初めてに近い経験だった。心境の変化? まさしくそうかもしれない。この度の「東日本大震災」の報に接し、僕の中で政治に向かわせる「何か」が弾けて表に出てきたのかもしれない。

「政治」・・・確かに嫌なイメージの世界だ。権謀術数、数の論理、扇情、パフォーマンス、金銭・・・。だが、「政治」が衆人に訴え、目指すところは、我々にとって生きていく上で絶対に無関心ではいられないものだ。「手続き」はいつも泥臭い世界だが、その「目的」や「目指すところ」は貴い場合だってある、それが「政治」というものだ。

僕は政治で人が幸福になれるとは思わない。でも、政治で人は不幸になることがある。今回の震災で痛感したが、世の中には「政治」でなければ解決できないことがあるのだ

政治家の連中は「国民」という言葉を絶えず連呼する。「国民の皆様のために!」「国民は困っている!」「国民は怒っている!」・・・だが連中が使う「国民」の中に自分が入っている気がしない。実際、多くの場合、僕はその中に入っていないし、入りたいとも思わない。だから僕は「非政治的人間」を自任すると同時に、自分が「政治的マイノリティー」であることも恬として自覚し受け入れている。連中の使う「国民」とは、「ある特定の国民」の謂(いい)であり、つまるところ、自分達に「」を与えてくれる「国民」なのだ。

国民」という語は現代の「錦の御旗」である。これを振りかざして勝手気ままにやっている(=悪政を行っている)政治家はゆるせない。連中から「国民」という言葉を取り返さなければならない。これが僕の本音だ。だからもう少し「政治的人間」になろうと思う。