石塚真一の漫画『岳(がく)』を読んだ。山岳救助隊の活動を描いた作品である。各編のストーリーが全体的にパターン化されすぎている嫌いはあるが、そこに目をつぶれば、なかなか良い漫画である。何より作者の山に対する愛着が絵やストーリーのすみずみに感じられる作品である。昨年、体力不足から情けなくも丹沢登山で懲りてしまい、再度山登りをやるかどうか迷っている自分にとっては、ちょうど良い登山の代用物になった。登山および登山用具の基礎知識なども自然に身に付く。

僕は涙もろいので単行本を一冊読むごとに、「う、う・・」と嗚咽が出そうになる箇所が決まって数カ所ある(笑) そんな、ちょっとお涙頂戴の漫画なのだが、読後感は爽やかである。「山登り」を題材にした漫画で長期にわたり連載を続け、人気を博すことが出来るとしたら、このような「爽やか漫画」以外にはちょっと難しかろうと思う。本格的な登山というものは苛酷なものであるし、ましてや話題が遭難者救助である。もし山岳救助活動の実態を赤裸々に、写実的に描写されたら、きっと読者も滅入ってしまうに違いない。

だが、様々な「死」が描かれているにもかかわらず、主人公・島崎三歩(しまざき さんぽ)の爽やかさと朗らかさ、大らかさによって、この漫画は明るさを取り戻している。もし、三歩としばしば協調して救助活動に当たるヘリコプター乗りの牧英紀が主人公だったら、この漫画は成り立たない。牧は笑わない男だからだ。

登場人物たちにはそれぞれリアリティーがある。野田、椎名、谷村、阿久津、安藤、牧、青木・・・。島崎三歩を取り巻く友人、知人、活動仲間たちは、僕の周囲にいても不思議でないような「普通の」人たちだ。

だが、この作品でたった一人だけ、現実世界に存在し得ない人物がいる。絶対に我々の周りに存在しないような人物が・・・。それが主人公・島崎三歩なのである。

遭難者を一刻も早く見つけ出し救出するのが三歩の仕事である。豪雪の中で救助に向かうことも珍しくない。寒さや飢えは常にタイムリミットを救助者に用意する。助けられる人もいれば助けられない人もいる。頻繁に人の「死」に遭遇する。せっかく発見できた遭難者が、搬送途中、三歩の背中でこと切れることもある。遺骨を届けた遺族に罵声を浴びせられることもある。だが、三歩はいつも冷静だ、迷うことなく、悩むことなく、明るく強く、常に直面する非常事態に向き合う。逡巡し、苦しみ、悩むのは、常に三歩の周囲の人々である。三歩は決して泣き言を言わない。三歩は彼の肉体と同様、強靱な精神力を持っている。だが、強靱すぎる・・・。このような人間は現実世界には存在し得ない。

彼は人間ではない。喩(たと)えるなら「山の精」だ。そしてそのような存在でなければこの漫画の主役は張れない。だからその点について作者を非難するつもりはない。三歩を「人間ならざる存在」として考えれば、この漫画の全てに合点がいく。三歩は一定の住所を持たない、家は山中のテントである。「山の精」にふさわしい住まいではないか。幾多の危険に見舞われながらも彼は言う「オレは山では死なない」と。そう、「山の精」が山で死ぬはずがないのである。

遭難者が生きていれば、「また山においで!」と三歩は言う。もし遭難者が死んでいれば遺体に対して「頑張ったね!」と三歩は言う。これは「山の神」が、自分の所に詣でて来た巡礼者、参拝者に対して、「山の精」を介して伝える言葉なのかもしれない・・・。

この漫画は登山家たちにも非常に人気だと聞く。きっと主人公・島崎三歩ような人間は、世の「山男」たちの永遠の「あこがれ」であり理想像なのだろう。

もう少し暖かくなったら、僕も山に登ろうかなあ・・・、先ずは高尾山くらいかな・・・(笑)