最近、当店の近所に、ドリンク、おつまみ、全て250円の居酒屋が出来ました! デフレもついにここまで来たか、と驚いています。

デフレ(deflation)は需要が供給を下回ることによって起こります。モノが世の中に有り余っている割に人々の購買欲が乏しい状況です。

しかし私はデフレにおけるもう一つのアンバランスを見過ごしてはならない気がします。それはすなわち、「労働」と「消費」のアンバランスです。あるいは、「労働者」と「消費者」の「立場」のアンバランスと言った方がいいかもしれません。

デフレ下では金銭の価値がモノに比べて相対的に上昇しますので、金銭を所有して消費行動を専らにする人々(「消費者」)は、世の中からチヤホヤされて有り難がられます。それに対して、毎日せっせと労働にいそしんでモノ(やサービス)を提供する人々(「労働者」)は、既に有り余っているモノを作り出すのですから、有り難がられないばかりか、軽んじられ、疎んじられ、時には会社でリストラの対象になったりします。デフレ下では、働くお父さんより、買い物をするお母さんの方が、有り難がられます。(分かりやすくわざと単純化して話をしています。人間は誰でも「労働者」であり「消費者」の両面を持っています。どちらか片一方、ということはありえませんし、実際には「働くお母さん」、「専業主夫のお父さん」も存在します。) そして不況下で、衆人こぞって消費者に媚びるような風潮が生まれます。

一方で、労働を軽んじる風潮がデフレを契機に世に蔓延すると、「働かない」人たちが出てきます。働いてもほめられない、つまらないと感じるとともに、労働の意義が自分でも見いだせないのです。私は、最近のニート問題の要因の一つが、ここにあるような気がして仕方がありません。

しかしもっと本質的な問題に目を向けてみましょう。人間にとって「労働」と「消費」はどちらが貴い行為であるか? どちらがより人間を立派にするのか?ということを。労働には常に我慢が伴います。常にその道でプロを目指し、不断の向上心と同業者やライバルとの切磋琢磨を要求されます。一方で、消費は「欲望」の赴くまま、お金さえあれば、誰でもがとることの出来る行為です。我慢は要りませんし、向上する必要もありません。現在にも過去にもある特定の職業に従事して努力することによって、経済のみならず人間的・精神的にも、人々が仰ぎ見るばかりの高みに達した人々が大勢います。私には答えは自ずから明らかだと思います。

そう考えると「デフレ」というのは、単に経済の上での問題と言うよりも、もっと深刻な問題であることに気が付きます。あえて断言します。「働く者」が報われない社会、「持つ者」が優遇される時代、それがデフレなのです。私は「格差社会」をことさらに煽るマスコミの報道が日頃好きではありませんが、このテーマが人々の関心を集めやすいのも、実はデフレという背景があるからこそです。「努力しても報われない」という徒労感を感じる人が社会全体に増えているのです。

そして長引く不景気とデフレ下で、現代流の「拝金主義」が老若男女を問わず幅をきかせつつあることを最近つよく感じます。なぜならば「消費」の前提は「金銭」だからです。そのあたりは、また後日、改めて。