それにしても酒というのは、面白いモノですね。何が面白いって? だって、どんなことでも、酒を飲む「理由」になるから・・・。

「今日はすごく嬉しいことがあった。よし、飲むぞ!」

「会社で上司にこっぴどく叱られた。もうやってらんねー。今夜は飲まずにいられるか!」

「今日は亡友の三回忌。故人をしのんで飲もう!」・・・などなど。

それから、さして「理由」が無くても飲みますね。かつての僕のように(笑) 今日はまっすぐ帰っても何だから、途中で一杯ひっかけるかぁ・・・、なんて(笑)

要するに飲兵衛は、「理由」があっても「理由」が無くても酒を飲むんです。喜怒哀楽、花鳥風月、風雨雷雪・・・、あらゆることが飲酒の切っ掛けになります。「無」でさえも(笑) ゼロを発見したのはインド人、仏教で「空(くう)」の思想といったら龍樹と相場が決まっておりますが、いや、もしかしたら飲兵衛が一番先にそれらを発見したのかも知れませんよ・・・(笑)

同時に、そのことが「禁酒」を難しくています。だって、確固とした「理由」があれば、その「理由」を何とかすれば、酒は止められるはずですから。このあたりが酒の面白いところであり、或る意味、人間的なところでもあります。酒は生活と不可分、生活の一部になっている。

「たばこ」はその点、もっと機械的というか無機質的いうか、非情緒的な嗜好品です。嬉しいこと、悲しいこと、あるいは誰か故人を偲んで煙草を吸ったりは、あまり想像できませんネ。

そう考えると、やはりタバコより酒の方が、止めるのは難しいのかも知れません。酒の方がタバコよりも数段、文化的で、情緒的な嗜好品のように感じます。あっ、そうそう、「文学的」という言い方も出来るかも知れません。李白や杜甫の詩は、酒を抜きには語れません。日本にもかつてお酒の好きな文学者が沢山いました。

そこでふと思い出しましたが、新宿の百人町に「くろがね」という料理屋さんがありました。長く続いた店でしたが、今年の5月にお店を畳んでしまいました。何度か人に連れていってもらったお店ですが、井伏鱒二、小沼丹などの文学者がかつて常連だったお店です。僕も何年か前、高名な或る老大家が来店されていた時に偶々居合わせたことがありました。僕の行った頃も文学系の研究者や出版社の編集者がよく出入りしているように見受けました。こういう酒には今でも少し惹かれますね。

小料理屋・居酒屋というのは、うちの近所にも長いところはありますが、なかなか50年は続かないようです。35年、40年といったところで店を畳むところが多いように見受けます。(これは勿論最長の部類で、短いところだと数年で閉めてしまいます) 店主の高齢化や来客の減少などが背景にあるようですが、飲まなくなった今でも、かつて自分が行った店の、そういう報に接すると、寂しい気持ちになります。

酒は酒だけを楽しむのではなくて、酒を提供してくれる「お店」、あるいは店員や他の客といった「」との関係性において、より一層複雑で深い楽しみ方が出来るという点でも、他の嗜好品とは一線を画しているように感じます。酒はやはり面白いものだと思います。