僕がウォーキングを日課にしていることは、以前、このブログでも書きました。歩くのは昼よりももっぱら夜。夜のウォーキングは、周囲の景色があまり目に入ってこないので自分の「心」に意識を集中でき、昼のウォーキングよりも、自分は好んでいます。普段、なかなか自分の心と対話するという時間がとれないので、今や貴重な時間となっています。・・・そんなことを以前このブログに書きました。

でも自分の心に意識を集中するとは言っても、夜の一人歩きですから、安全上、周囲に気を配る必要も勿論あります。色々な人とすれ違います。僕の歩く時間帯が午後9時?午前0時ごろが多いので、帰宅途中のサラリーマンやOL、僕同様、ウォーキングやジョギングをする人などもよく見かけます。

さて、僕がウォーキングを始めてからずっと気になっていたこと、不思議に思っていたことがあります。それは、夜の街路で見かける人、すれ違う人の中で女性、特に若い女性が、携帯電話をしながら歩いている確率が非常に高いことです。先日ふとそのことに関して或ることに思い至りました。彼女たちは防犯上の理由、もしくは夜道を心細く思って電話を誰かとしているのではないか。あるいは彼女たちの何割かは電話をしていないのかもしれない、これも同様の理由から、話をしているふりをしているのではないか、ということを。

確かに体格の良い?僕のような人間でも、夜歩いているときは、怖いこと、不気味なこと、驚くことがあります。突然暗がりから人が現れたりすると「ギョッ!」と驚いたりします(笑) コンビニの前に集団でたむろしている若者たちも非常に威圧感があります(笑)。出来れば避けて通りたい。最近は色々と物騒な事件が多いので、女性ならばなおさら怖い思いをしているに違いありません。暗闇は人の恐怖をかき立てます。

先日こんなことがありました。夜10時頃、いつもどおり僕が歩いていると、80メートル位先のこれから僕が通過するであろう路上に、不審な人物の影が・・・。どのように「不審」だったか敢えてここでは申しませんが、一見していかにもそれと分かる程度の「不審」具合(笑)でした。当然、僕は進路変更しました。その時は、その「不審者」を避け、道路を横断して対面の舗道を迂回するように歩きました。

それから帰宅するまでのウォーキングの間、私は今起こった出来事、それは大した出来事ではないのかも知れませんが、何しろ先述したように僕の場合「思考ウォーキング」を心がけているものですから(笑)、あれこれと考えを巡らせたのです。そう、その時は「差別」ということについてあれこれと考えました。

皆さんはどうお考えでしょうか? 僕が夜間ウォーキングの途中、その「挙動不審」の人物を手前で避けたこと。危ないと「決めつけた」こと。これは「差別」でしょうか?「人を見た目だけで判断してはいけない!」と非難されるべき行為なのでしょうか?

いいえ、僕はそうは思いません。これは「差別」ではありません。なぜなら僕はこの人の人柄を知らないからです。この人物に関する情報が無い以上、僕は「見てくれ」「外見」で判断するほか無いのです。自分の安全を守るためにこれは必要な処置なのです。自分の生命を守ること、危険を避けること、これは人間として誰もが本能的に行う行為です。0.01%の危険を0.001%にする、実際はそれくらいのことかも知れません。しかしこれを日々、刻々、瞬間瞬間で繰り返すことにより、人は自分の身を様々な危険から守っているのです。

近年、「差別」ということを否定するのに急なあまり、この人間にとって最も大切な自己保存の行動にさえ、文句を付ける連中がいます。「人を外見やその人の生まれもった属性、所属する国や団体、出自や性別等で判断してはいけない」と。しかし、これは、あくまで「その人の性格や人となりを知っている場合は」という付帯事項を付けなければならない場合が多いのです。

逆にその人間と面識がない場合は、そういう外形的なことで判断せざるを得ません。そうするべき場合もあるのです。例えば、先ほどの話に戻せば、若い女性が暗い夜道の一人歩きで、見知らぬ人とすれ違う場合、相手が男か女か、年齢は、背丈は、身なりは?、といった外形的・外面的な情報に基づいて、どの程度警戒すべきかを決めることは必要なことなのです。これは決して「差別」として否定される行為ではありません。

現代の日本のマスコミ・マスメディア、教育界などの論調には、このあたりの「差別」の事情に関して、少々混乱が見られるような気がしてなりません。何を「差別」とし何を「差別」とするべきでないか、このあたりのことに関してもう少しキチンと議論と整理がなされるべきでしょう。

しかしこんなことを考えながら黙々と夜道を歩いている僕はやはり変なのかも・・・(笑) 不審者として道を避けられても仕方がないかも知れません(笑)

【付記】言うまでもありませんが、僕も差別は良くないことと考えておりますし、差別主義者は嫌いです。差別とはどういうことを言うのか。「或る人物の人となりや能力、人格を知ることが出来る立場・位置・距離関係にありながら、なおも、その人物の変更しがたい属性や生来の属性(出自・国籍・身分・性別・容貌等)の方を重んじること」、とでも定義できるのではないでしょうか。