つい最近までタバコも酒もやっていました。「やっていた」というべきか「たしなんでいた」というべきか・・・、「おぼれていた」とまではいかなくても、明らかにどこかで「依存」していたような気がします。

「酒も煙草もやらない」という人を見ると、「つまらないヤツ」「何が楽しみで生きているんだ」「人生の機微を理解していない男だ」などと、声に出しては言わなくとも、心の中で思う酒飲みは多いはずです。僕もそのような考え方をしがちだったことは否定しません。

今から思うと何という身勝手な、自分本位の考え方なのでしょうね。(そのことに気が付けただけでも禁酒・禁煙をやって本当に良かったと思います)

じゃ、僕から逆に質問してもいいですか。「あなたは酒を飲める人が相手だったら誰とでも腹を割って話すことができ、肝胆相照らす仲になれましたか?酒で良い友達が沢山出来ましたか?」と。 いいえ、そんなことは無いはずです。自分の経験から断言できます。

人間とはうまく出来たもので、酒や煙草という楽しみを自分から取り上げても、新たな楽しみをどこからかちゃんと見つけてくるものなんですよ。僕もいくつか代替えの楽しみを既に見つけています。

季節は秋。毎日仕事場に自転車で出勤していますが、秋の気配が日々濃厚になってゆくのを感じます。爽やかな秋の風を受けているとどこかしこに「秋の匂い」を感じます。禁酒・禁煙して最近明らかに感覚が鋭敏になってきました。「収穫の秋」にふさわしく自分の気力も充実しています。朝はその「力」を一番感じる時間です。

鉛の入ったような重い頭と、磨りガラスのように濁った視界で、ハアハアと息を切らしながら、イヤイヤ仕事に出かけるような朝はもう願い下げです。酒も煙草も僕にはもう不要です。

ある人が面白いことを書いていました。「酒の楽しみは未来の自分に対する借金のようなものである。必ず将来そのツケを払わなければならない」と。その通りだと思います。例えば、子供が砂場で砂遊びをして、砂山を作ったとします。すると山を作った分だけ必ずどこかに谷も出来る。酒で得られる喜びとは、所詮そんなものなんだと思います。山が高ければ谷も深い。アルコールが原因で鬱病になってしまう人もいますよね。

僕は「山」を作ることを否定しているのではありません。その「作り方」が問題だと思うのです。「谷」の出来ない「山の作り方」もきっとあるに違いない。そう思うのです。