久しぶりに良い映画を観ました。2007年度モナコ国際映画祭で作品賞、主演男優賞(豊原功補)、同女優賞(寺島咲)、脚本賞(武田樹里)の四冠を獲得しながら、日本国内での公開は興行事情により、一部劇場にとどまった「受験のシンデレラ」(和田秀樹監督)という作品です。

この映画をこのまま埋もれさせてしまうのは惜しい、という有志の方々主催の上映会に招待されたので、行って参りました。

ヒロイン遠藤真紀(寺島咲)は、16歳。父親はよそに女をつくって別居、母親は自堕落な性格で教育に関心がないため、真紀は利発な少女だが家が貧しいこともあり高校を中退して働いている。

一方、五十嵐透(40歳)(豊原功補)は、東大医学部を卒業後、「金のために」進学予備校の世界に入り、今や押しも押されぬ受験指導の「カリスマ」。東大に毎年沢山の学生を送り込んで、著書も多数出している。

普通なら出会うはずもないこの二人が、運命のいたずらとでも言うべき偶然によって出会う。五十嵐は自分が余命1年半の末期癌であることを友人の医師より宣告され、富と名声の頂天から一気に絶望の淵に沈む。一方の真紀も失恋と家庭内の不和で、自殺を試みる…

苦しみと絶望の中で出会った二人は、何と!真紀の「東大合格」を目指して、二人三脚で歩み始める…大学検定試験、二人の心の反目と愛情、五十嵐の発作、そして、真紀の合格…五十嵐の死。最後の場面は、涙が止まりませんでした。

この映画が、観る者をすがすがしい気持ちにさせるのは何故か考えてみました。この物語は、たまたま「受験」をテーマにしていますが、べつに「東大合格」が目標でなくても良いのです。「目標に向かって頑張っている人を応援する映画」であることが、観ているうちに自ずと分かります。時代は今、「頑張るのは格好悪い」から「頑張らなくても良い」という時代に入りつつあるように思えます。人の耳目に入りやすい言論・主張に終始してきたマスコミ、教育者、学者、政治家などがこのような方向に日本を誘導してしまったのでしょう。「ゆとり教育」などその最たるもの、今はむしろ「頑張らない人を応援する」という倒錯した時代です。

しかしこの映画を観ると真剣に頑張っている二人(真紀と五十嵐)が出てきます。観客は応援したくなります、そして頑張ることは素晴らしい、という気持ちにさせてくれます。「結果」はどうだって良いのです。真紀は幸い東大に合格しますが、五十嵐を待っているのは間近に迫った「死」でしかありません。それでも彼は、人生最後の一年あまりを充実して有意義に駆けぬけたのです。「結果」ではなく「過程」!…こちらが大切なのです。

二人はあくまでも責任を自分で背負い、人生と未来を切り拓こうとします。不遇をかこちません。貧しくて大学に行けないのは親のせいだ、社会のせいだ!などと他者へ怒りを向ける代わりに、真紀は仕事で疲れているにもかかわらず眠い目をこすりながら深夜まで毎日勉強します。そして最悪とも言える境遇から脱出するチャンスを自ら掴むのです。ここが観る者に「すがすがしさ」を感じさせる最大の理由でしょう。「格差社会」に対する、世の潮流とは違った答えの出し方です。最近は流行らなくなりましたが、「ハングリー精神」といったものに近いのかもしれません。何ものかに依存することなく主体的に物事に関わってゆく自立した個人は、男女を問わず魅力的です。

それから、本当の教育者とは何か?ということも、この映画は問いかけてきます。驕り高ぶっていた頃の五十嵐にとっては、教育は「手段」でしかありませんでした、「富と名声」を得るための手段です。しかし、間近に迫った「死」を自覚した時、つまり「富と名声」に何の意味も見出せなくなった時、初めて彼は教育の本質に目ざめ、教師としての自分を再確認します。ここでは「教育」はもはや「手段」ではなく「目的」となっています。真紀はずっと五十嵐のことを「おじさん」と呼び続けますが、最後の最後で「先生」と呼びかけます、その時既に五十嵐は帰らぬ人になっているのですが…(泣)

最後に…。 「頑張らなくてもよい」「あるがままで良い」というのは一面では決して間違ってはいません。「頑張らなければならない」「勝たなければならない」これも厳しい現代社会を生き抜く上で必要でしょう。若い人・元気な人には「頑張れ!」と鼓舞し、疲れた人・傷ついた人には「頑張らなくても良い」と慰めるようなバランスのとれた社会が良いのかもしれません。しかし、人は頑張るからこそ、時に傷つき、疲れるのです。最初から努力を放棄した人に「頑張らなくて良い」と言うのでは、怠惰を助長する以外の結果をもたらすことは困難だと思います。

さらによくよく考えると、「あるがままで良い」と「頑張らねばならない」という精神は、実は二律背反ではないことに気が付きます。一人の人間がその両方を兼ね備えることが出来るし、またそうしなければ現代社会を充実して、生き甲斐をもって生きることは不可能でしょう。ありのままに生きるということが、何かに向かってひたすら努力することでなければならないのです。

それぞれの世界、持ち分で、「頑張る人」こそが報われる社会にしてゆかなければならない、ということが、この作品から僕が受け取ったメッセージです。

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