この前知り合いのAさんと街を歩いていた時のことです。

中高生とおぼしき少年少女たちが街頭で募金活動をやっていました。その時、Aさんがつぶやくように非難めいた口調でこう言いました、「子供に物乞いのマネなどさせやがって…」

いつも穏和な人なので僕はその時、おや、と思いましたが、それ以上その話題が発展することもなく、用事も済んでAさんとも別れました。後で色々考えてみると、ここには、なかなか難しい問題がありそうです。Aさんほどではありませんが僕も未成年の街頭募金には以前から少し疑問をもっているからです。

「子供に物乞いのマネなどさせやがって…」とのAさんの言は、むろん子供達にではなく、それを「やらせている」親や教師など大人達に向けられています。では、大人達はなぜ、みずから街頭に立つかわりに子供達を前面に出すのでしょう? 同情が集まって募金が集まりやすいから? 確かにそれが大きな理由であるように思われます。しかしこれは言い方を換えれば、大人が子供を「利用」していることにはならないでしょうか?

大人が子供達になにかを「やらせる」場合、かならずそのことが及ぼす「教育的効果」を考えなければなりません。それが大人たるものの「つとめ」だと思います。募金活動において青少年を街頭に立たせることは、「お金が集まりやすい」という「効果」はあるでしょうが、はたして教育的な「効果」はどうなのでしょうか? ここが一番の問題です。

僕は募金活動をする少年・少女の「善意」を決して疑いません。「貧困で困っている××のためにご協力お願いします!」 美しい話です。しかし中高生ともなれば、募金活動で時間を費やすかわりに、何かアルバイト的な作業をして、一日に何がしかのお金は稼ぐことが出来るでしょう。月々のお小遣いから貯金だってしているかもしれません。たとえ僅かでも自ら汗を流して稼いだお金や貯金、すなわち自分のフトコロを痛めて募金させた方がよい、なぜならそのお金には心がこもっているから、という意見には説得力がありそうです。

街頭募金活動をしていると沢山の人が目の前を通り過ぎていきます。中には財布からお金を出して募金箱に入れてくれる優しい大人もいるでしょう。一方でせかせかと歩いて募金箱には一瞥もくれない僕のような人間もいるでしょう。子供達は思う筈です、お金を募金してくれたさっきの人は何て思いやりがあるんだろう、それに比べて、あの小太りのオジサン(僕のこと)は、何て冷たい人間、ああいう大人にはなりたくない・・・

もちろん、それに対する反論は、まともに仕事をして納税したり、家族を養ったりしている普通の大人にとっては、たやすいことです。しかしまだ未成年の社会経験のない子供達にとっては、なかなか分かりづらい理屈かも知れません。

僕の結論です。お金を稼ぐことの大変さが分かった者だけが、募金をすることも、募金を呼びかけることも、その篤志を受ける取ることも出来る、あるいはその資格があると言えるのではないでしょうか。従って、まだ自分の力で糊口をしのぐことの出来ない未成年を募金活動に参加させることは良くないと思うのです。例外もあるかも知れませんが、基本的には教育的によい影響はないと思います。子供達ではなく、それをやらせている大人達が前面に出て道行く人に訴えるべきです。

最近、大人・子供を問わず、世の中全体に「主張するのは自分、努力するのは他人」という風潮があるように思えてなりません。この「他人」の中には、文字通りの他人から、家族、各種コミュニティー、地域社会、そして「国」までもが含まれているように思います。青少年の街頭募金活動が彼らの心のどこかに、こうした風潮を助長する悪しき精神の萌芽を植え付けるとしたなら、せっかくの彼らの「善意」が台無しです。「まず隗(かい)より始めよ!」 「まだ責任能力や判断力のない未成年を参加させることは慎重に!」募金を求める全ての団体・個人に僕は言いたいです。